レアル・マドリードMFアルダ・ギュレルが、困窮していたという幼少時代を振り返っている。
トルコの天才MFギュレルは『The Players Tribune』で、金銭的に苦しい思いをしたという自身の幼少時代を述懐。友達と行動を共にすることに、支障があった時期も過ごしたとのことだ。
「何が起こったのかは知らない。でもある日、父さんに言われたんだ。『息子よ、私たちは店を畳まなくてはいけなくなった』と。僕たちは路頭に迷うことになった。収入源はその店だけだったからね」
「あの頃、僕の友達はよくワッフルを食べに行っていたんだけど、『ごめん、お金を払えないんだ』なんて言えるわけがなかった。だから、僕はいつだって疲れ過ぎていたり、行くことができないようにしていたんだ。でも、食卓でご飯を食べることはできていたよ」
「その後、両親は新しいお店を開くことができた。それは大きな助けとなったね。ただ、フェネルバフチェが僕をスカウトしたとき、ただフットボールだけを考えて加入したとは言えなかった。僕たちはお金が必要だったんだ」
ギュレルがフェネルバフチェの下部組織に加入したのは、13歳の頃だった。
「あの頃の会話で一番覚えているのは、8歳上の兄さんから言われたことだ。僕が車に織り込むとき、彼は僕の目を言ったんだ。『アルダ、冷蔵庫を一杯にしてくれ。冷蔵庫を一杯に、だ』。彼は本当にそう言ったんだよ。『アルダ、絶対に成し遂げてくれ』とね」
フェネルバフチェで頭角を現したギュレルは、“トルコのメッシ”などと称され、欧州のビッグクラブから興味を持たれることに。そして18歳だった2023年夏、レアル・マドリードがバルセロナらとの獲得競争を制している。
「アンチェロッティとテレビ電話をしたんだ。彼の番号がスマートフォンの画面に現れたときのことは決して忘れられない。『やあ、アルダ』と言った彼は、僕と同じくバケーションを過ごしていた。細かくは覚えていないけど、彼はハワイアナスの服にサングラスをつけて、葉巻も吸っていたと思う」
「アンチェロッティはこう語ったよ。『アルダ、ここでは素晴らしい未来が待ち受けている。おそらく加入1年目はそこまででもないが、しかしチャンスは手にできる。そしてルカ(・モドリッチ)とクロースが年齢を重ねたときには、中盤でプレーできるぞ』ってね」
ギュレルは、現在モドリッチがつけている背番号10を将来的に背負う意志を示している。
「自分にはまだ多くの夢がある。レアル・マドリードで重要な選手になりたいし、同様にこのクラブで10番をつけたい。でも自分が何よりも願っているのは、トルコの新世代の選手たちのために道を切り拓くことなんだ」
ギュレルはレアル・マドリードで、モドリッチのことを「エルマーノ(スペイン語で兄さん)」と呼び、一方でモドリッチらチームメートから「アビ(トルコ語で兄さん)」と呼ばれている。この「兄さん」の呼び合いが起こった理由は何なのだろうか。
「トルコでは、年上の人を敬意を込めて『兄さん』と呼ぶんだ。アビはトルコ語で、年上の兄弟を意味している。それが僕たちの文化で、モドリッチのことを気軽にルカなんて呼べなかったんだよ」