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【連載 大相撲が大好きになる 話の玉手箱】第29回「白鵬」その1(BBM Sports)

始まりがあれば、必ず終わりが来る。
これがものの道理です。
令和3年名古屋場所、この終わりがあるのかどうか、注目を集めたのが横綱白鵬(現宮城野親方)でした。
白鵬ファンか、アンチ白鵬かは置いといて、多くの相撲ファンが固唾を飲んでその一挙手一投足を見守り、中にはハラハラ、ドキドキ、手に汗握って熱い視線を送ったことでしょう。
白鵬と言えば、このコーナーでもおなじみです。
欠かせない人材といっていいでしょう。
なにしろ15年も横綱にいたんですから。
その間、いかに強いプライドと自信を持ち、強気にふるまったか。
今回はそんなエピソードに絞って紹介しましょう。主役は白鵬です。
※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。座布団投げに賛成!?

横綱ともなると、弱気は禁物。常に強気に振舞わなければいけない。白鵬は、そういう意味でも、まさに横綱だった。
 
平成24(2012)年6月24日、白鵬と当時の名古屋場所担当部長の千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)とは河村たかし・名古屋市長を表敬訪問した。横綱と担当部長が連れ立って名古屋市長にあいさつする、というのは名古屋場所前の恒例行事だった。ちなみに、このときの白鵬はひとり横綱だ。
 
もちろん、河村市長は大歓迎。市長室に招き入れて歓談したが、このとき、大向こう受けが大好きな河村市長がユニークな提案をした。

「相撲協会では、座布団投げはいかん、ということになっているが、名古屋場所だけは逆に推奨しましょう。あれは実に楽しいし、やった方が絶対に盛り上がる」
 
勝手に協会の取り決めに反することはできない。千賀ノ浦担当部長が、

「それは、まあ、なんと言っていいか、その……」
 
と答えに窮していると、横から白鵬は助け船を出した。

「いいですね。私は賛成です。金星を取ったとき、座布団が飛ぶのを見るのは、実に気分のいいものです。その方がやりがいもある」
 
ご存じのとおり、金星は平幕力士が横綱を破ったときの勝ち星のことで、白鵬サイドから言えば、自分が負けない限り、座布団が舞うことはない。残念ながら、この座布団投げは解禁されることはなかったが、それだけ絶対、オレは負けない、という自信にあふれていたのだ。
 
この言葉どおり、この場所の白鵬は、千秋楽に大関日馬富士との全勝対決に敗れ、優勝は逸したものの、14日目まで負け知らずで金星を配給することはなかった。ついでながら、白鵬が金星を獲得し、座布団が飛ぶのを気持ちよく眺めたのは平成16年九州場所11日目、横綱朝青龍を送り出して勝ったときの1回だけだ。このとき、白鵬は西前頭筆頭だった。

月刊『相撲』令和3年8月号掲載
相撲編集部


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