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野中郁次郎教授が『失敗の本質』を通して伝えたかったリーダーへの教訓(DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー)

1984年、私たちはノモンハン事件、ミッドウェー作戦、など6つの戦闘を取り上げ組織の抱える問題点を抽出し、その分析・解釈によって行政機関や企業など組織一般にとっての教訓を引き出そうとした研究の成果を『失敗の本質』(ダイヤモンド社)で発表した。本書をいま読み返してみると、この時の研究で残された課題を今日までずっと追いかけてきたように思えてならない。その後、「SECIモデル」によって暗黙知と形式知の相互作用によるダイナミックな知識創造プロセスを明らかにし、『知識創造企業』(東洋経済新報社、1996年)などで追究した知識創造理論から、最近の『流れを経営する』(東洋経済新報社、2010年)まで、20年以上にわたって宿題に取り組んできたというわけだ。

 『失敗の本質』で得た重要な命題の一つは、日本軍における過去の成功体験への過剰適用である。言わば「成功は失敗の元」とでもいえるだろうか。人間は、成功体験によって強化された自己をなかなか否定できない。翻って戦後の日本の政治組織、官僚組織も、陸海軍の失敗から何かを学んだようには見えない。おそらく日本において唯一、自己否定の能力を持ちえたのが企業組織であろう。企業は厳しい市場競争のなかで生き延びなければならず、実行すべきことから逃れようとする企業は消えていくだけだ。

 戦後、多くの経営者が戦争協力者として追放された。後を引き継いだ若い経営者たちは、従来の日本的組織に根を張っていた非科学性を否定したうえで、欧米の科学主義を導入した。そして、日本流と欧米流をうまくブレンドして独自の組織を進化させたのである。たとえば、QCサークルが成果を上げたのは、日本人の持つ共同体意識や日本的組織の強みともいえる優秀な“下士官”(現場リーダー)の力を、欧米の科学的なアプローチと融合させることができたからだろう。

『失敗の本質』に投影した経営学的な問題意識は、いま振り返れば情報処理だったといえる。情報の伝達と共有、処理プロセスのスピードが作戦の成否を分けることも多いものだ。その後、私たちは知識に目を向けた。

 情報を基にして適応することはできても、創造することは難しい。創造の世界を開くのは、自分たちの思い(暗黙知)を言葉(形式知)にし、言葉を形に(実践)していくダイナミックなプロセスである。このような知識創造理論を発展させるなかで、課題はなお残った。それは、知識創造プロセスをマネージするリーダーシップとは何かということである。

 このテーマを考えながら、『戦略の本質』(日本経済新聞社)を2005年に出版した。戦略の本質は逆転のなかに見出せるのではないかと考え、毛沢東やウィンストン・チャーチルなどが指揮した戦争、その戦略を分析・解釈するという試みだった。そして、さまざまな逆転のケースに通底するリーダーシップの本質について考えるなかで、突き当たったコンセプトが、古代ギリシャの哲学者、アリストテレスの提唱した「フロネシス(phronesis)・賢慮ないし実践知」である。

■知識創造からフロネティック・リーダーへ

 私たちはこう書いた。

「戦略の構想力とその実行力は、日常の知的パフォーマンスとしての賢慮の蓄積とその持続的練磨に依存するのである。戦略は、すべて分析的な言語で語れて結論が出るような静的でメカニカルなものではない。究極にあるのは、事象の細部と全体、コンテクスト依存とコンテクスト自由、主観と客観を善に向かってダイナミックに綜合する実践的知恵である。

 それは存在論(何のために存在するのか)と認識論(どう知るのか)、あるいは理想主義とプラグマティズムを、実践においてダイナミックに綜合する賢慮そのものであろう。

 戦略の本質は、存在をかけた『義』の実現に向けて、コンテクストに応じた知的パフォーマンスを演ずる、自律分散的な賢慮型リーダーシップの体系を創造することである」

 詳細は本書『失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇』第一章に譲るが、フロネシスの中身を一言で言えば、個別具体の物事や背後にある複雑な関係性を見極めながら、社会の共通善の実現のために、適切な判断をすばやく下しつつ、みずからも的確な行動を取ることができる「実践知」のことをいう。そうした知を備えたリーダーがフロネティック・リーダーだ。

 その典型が『戦略の本質』でも取り上げたチャーチルである。チャーチルは、アドルフ・ヒトラー率いるナチスに敢然と立ち向かい、最後は勝利を収めた。ところが、その姿勢は当時のイギリスにおいては少数派で、ナチスとの宥和政策を奉じる政治家のほうが多かった。

 そうしたなか、なぜチャーチルはナチスとの対決という、より困難な道を選んだのか。そこで『危機の指導者チャーチル』(新潮選書)の著者、富田浩司氏は、チェンバレンやハリファックスの脳裏にあったのは、第一次大戦の悪夢であり、大恐慌に苦しむ国民の顔だっただろう、と書く。一方のチャーチルが開戦の決断を行った時、心に浮かべたのは、大英帝国の栄光を築いたドレーク提督、ネルソン提督といった輝ける先人の姿だった。歴史に裏打ちされたイギリス人の強靭さを彼は信じていた。だからこそ、「ヒトラーのような邪悪な存在に対して、だれかが立ち上がらなければならない。でなければ人類が破滅してしまうかもしれない」と考えることができたのだ。

 チャーチルは若い頃は軍人でもあった。南アフリカで起きた第二次ボーア戦争に従軍、一時捕虜となるが、収容所から脱走して事なきを得ている。こうした従軍経験も実践知の涵養に大きな影響を及ぼしたのは間違いないだろう。

 私たちが『失敗の本質』で書いたように、残念ながら、かつての日本はチャーチルのような卓越したリーダーを持たなかった。いまも、十分、持っているとはいえないのではないか。

 そのことを痛感させられたのが、東日本大震災に付随して発生した福島第一原発事故である。筆者は福島原発事故独立検証委員会の委員として、今回の原発事故について分析・検証を行った。この調査の眼目は、発電所の技術的マネジメントやエビデンスという直接的な原因だけに着目するのではなく、起こった事象の背後にある当事者の認知や行動パターン、組織のシステムや文化といった「見えにくい関係性」を顕在化させることにあった。これらの間接的な要因も考慮した多元的アプローチを試みた結果、明らかになったのは、菅直人を中心とする官邸チームや東京電力に危機対応リーダーシップと覚悟が欠如し、国家の危機管理体制が機能しなかった、ということである。この事故は、言わば閉鎖コミュニティがもたらした「知の劣化」による人災なのである。

 今回の危機はまさに戦時である。事故後、官邸中枢には、状況に即した組織的判断力、本部と事故現場との連携が不可欠だったはずである。にもかかわらず、官邸中枢の対応は、『失敗の本質』で挙げた日本軍の「組織的失敗の要因」の二の舞を演じた。特筆すべきは次の3点であろう。

・イデオロギーに縛られ現実を直視できず、国家の安全保障という大局的な見地に基づく現場対応もできなかった。
・開かれた多様性を排除し、同質性の高いメンバーで独善的に意思決定する内向きな組織であった。
・多様性の高いタスクフォースと官僚制を活かすために必要な統合・統制能力が欠如していた。

 官邸中枢の危機対応は、白兵銃剣主義や艦隊決戦主義という強力なイデオロギーに縛られ、「いま」「ここ」の現実に向き合えなかったために現場の課題に直結する大局的視点を持ちえず、ダイナミックな危機対応ができなかった日本軍のそれに酷似している。さらに、官邸中枢はインフォーマルな人的ネットワークを優先して形成され、危機管理センターとの間にリアルな共感の場を喪失した。これまた、ボトムアップで集まる情報や問題提起を無視し、外からの干渉を許さなかった参謀本部(陸軍)の内向き志向そのものである。結果的に、これが組織的連携を大幅に遅らせた。そして、陸海軍間の戦略・思考・行動様式等の対立から組織としての有機的統合・統制に失敗した大本営と同じく、官邸中枢も、組織にとって不利益な情報を隠蔽し、責任ある立場の各人がその任を果たさず責任者不在の妥協を繰り返した。日本軍と同じ轍を踏んだ危機対応の様相に、まさにフロネティック・リーダー不在の国家経営の縮図を見る思いがしたものだ。

 日本軍の過去の失敗を例に、現在の組織に有益な教訓を引き出したのが『失敗の本質』だとしたら、日本軍の指導者の失敗と(数少ない)成功を題材に、現在のリーダーや組織にとっての有益な教訓を引き出したのが本書『失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇』である。「第二の敗戦」ともいわれる今回の原発事故では、関連議事録の不作成により「失敗から学ぶ」ことを困難にしている。この時期に、本書を上梓することで、この国の未来を担う「フロネティック・リーダー」の育成に、いささかでも貢献できれば幸いである。

2012年7月
野中郁次郎
野中 郁次郎,杉之尾 宜生,戸部 良一,土居 征夫,河野 仁,山内 昌之,菊澤 研宗


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