FIREの基準として、一般的に用いられる「4%ルール」には大きな欠陥があると、本記事の筆者エリック・ロベルジュ氏は指摘します。
ファイナンシャルプランナーである同氏は、4%ルールを追求しすぎると、実質的に選択肢が狭まると警告。
もっと良いのは、将来だけでなく現在も柔軟な選択ができるよう、「経済力」をつけることなのだそうです。
経済的自立は、人生の最終目標のように聞こえる。経済的自立とは、生きていくうえで必要な所得を生み出す十分な資産を構築し、生活のために仕事をすることから解放されることを言う。
理論的には、理想的な方法かもしれない。だが、経済的自立を追求しすぎると、実質的に選択肢が狭まり、お金に行き詰っている気分になることに注意が必要だ。
経済的自立の達成というときに、多くの人がよく使う「シンプルな数式」がある。「投資ポートフォリオから年間4%しか引き出さなければ、一生貯蓄を食いつぶすことがない」といういわゆる4%ルールだ。100万ドル(約1億5000万円、1ドル=150円換算:以下同)の投資資産を構築できれば、理論上、残りの人生の間、毎年4万ドル(約600万円)を引き出せる。このルールを聞いて、支出を大幅に削減し、できるだけ早く100万ドルを貯蓄して経済的自立を宣言しようと躍起になる人が多い。
だが、これには大きな問題がある。
この4%ルールはあくまでも理論であり、保証されているわけではない。すべてがうまくいくとの楽観主義に基づいて、長期の経済的ウェルビーイングを確信していることにほかならない。
以前は、4%の引出率なら「安全」だと考えられていたが、この信ぴょう性に異論が高まっている。
そもそもこの4%という引出率は、65歳以上の標準的な年齢で退職した人が、残り25年ほどの生活費を賄うことを念頭に置いたものだ。だが、35歳でリタイアすれば、25年ではなく残り55年の資金を賄わなければならない。
経済的自立に向けたこの「シンプルな数式」は、線形予測に基づいている。だが、人生には紆余曲折がつきものだし、投資リターンも然りだ。現実は、このシンプルな計算式で導き出されるものとは大きく異なり複雑なのだ。
また言うまでもなく、残りの人生を絶対に年間4万ドルで暮らしていきたいと思うだろうか?人生の目的や価値、望みが変わったらどうするのか?そして実際、それらは変わる。自分の性格は変わらないと思っていても、常に人は変化しているのだ。
FIREの基準として、一般的に用いられる「4%ルール」には大きな欠陥があると、本記事の筆者エリック・ロベルジュ氏は指摘します。
ファイナンシャルプランナーである同氏は、4%ルールを追求しすぎると、実質的に選択肢が狭まると警告。
もっと良いのは、将来だけでなく現在も柔軟な選択ができるよう、「経済力」をつけることなのだそうです。
経済的自立は、人生の最終目標のように聞こえる。経済的自立とは、生きていくうえで必要な所得を生み出す十分な資産を構築し、生活のために仕事をすることから解放されることを言う。
理論的には、理想的な方法かもしれない。だが、経済的自立を追求しすぎると、実質的に選択肢が狭まり、お金に行き詰っている気分になることに注意が必要だ。
経済的自立の達成というときに、多くの人がよく使う「シンプルな数式」がある。「投資ポートフォリオから年間4%しか引き出さなければ、一生貯蓄を食いつぶすことがない」といういわゆる4%ルールだ。100万ドル(約1億5000万円、1ドル=150円換算:以下同)の投資資産を構築できれば、理論上、残りの人生の間、毎年4万ドル(約600万円)を引き出せる。このルールを聞いて、支出を大幅に削減し、できるだけ早く100万ドルを貯蓄して経済的自立を宣言しようと躍起になる人が多い。
だが、これには大きな問題がある。
この4%ルールはあくまでも理論であり、保証されているわけではない。すべてがうまくいくとの楽観主義に基づいて、長期の経済的ウェルビーイングを確信していることにほかならない。
以前は、4%の引出率なら「安全」だと考えられていたが、この信ぴょう性に異論が高まっている。
そもそもこの4%という引出率は、65歳以上の標準的な年齢で退職した人が、残り25年ほどの生活費を賄うことを念頭に置いたものだ。だが、35歳でリタイアすれば、25年ではなく残り55年の資金を賄わなければならない。
経済的自立に向けたこの「シンプルな数式」は、線形予測に基づいている。だが、人生には紆余曲折がつきものだし、投資リターンも然りだ。現実は、このシンプルな計算式で導き出されるものとは大きく異なり複雑なのだ。
また言うまでもなく、残りの人生を絶対に年間4万ドルで暮らしていきたいと思うだろうか?人生の目的や価値、望みが変わったらどうするのか?そして実際、それらは変わる。自分の性格は変わらないと思っていても、常に人は変化しているのだ。